さいん!こさいん!めんたいこ!

今さら道重さゆみのファンになった人のブログ。

推し変しなくていい人生にレベルアップしたい

唐突に思い至ったから書く。

わたしにオタクとしての体力がない理由がわかった。

ガチ恋してしまうからだ。

いつもアイドルを好きになって、そのかわいさや熱い志に憧れて、いつの間にか恋いしくてたまらなくなって、すっごくのめり込んで応援してしまう。ここまではいい。

でも、なぜそれが続かないのか。軽い気持ちで好きになってホイホイ推し変しているわけではない。むしろ、重すぎるのだ。

いや、愛が重いのはいいと思うんだけど(だってアイドルは受け止めてくれるから)、それ以上を望んでしまうのがよくない。

 

いつも素晴らしいパフォーマンスをしてくれて、たくさんブログを更新してくれて、たまにはありのままの気持ちも語ってくれて、かわいいお顔をSNSにアップしてくれて、握手会ではまるで友達かのように盛り上げてくれることもあって、アイドルするためにたくさんたくさんいろんなことを我慢しているはずなのに、いつでも笑顔を届けてくれている、こんなにもわたしたちファンのためを思ってくれているアイドルにそれ以上を望むってもう自分が嫌でたまらない。こんなに愛してもらってるのにまだ足りないの?ばかなの?死ぬの?

 

それ以上ってのはつまりデートしたいとか付き合いたいとかそういうことだ(サイテー!)。でもそんなのできっこないとわかっている。わかっているのに「へっ。結局アイドルなんて愛想振りまいてるだけで心の底まで満たしてはくれないじゃないか」という思考に陥る瞬間がある。

ファンのためを思って日々活動してくれているアイドルからしたらたまったもんじゃないだろう。だって、アイドルは仕事なのだ。つんく♂も「君たちがしているのは『キャラを演じること』であって、あなた自身を切り売りすることではない」と写真の仕事を嫌がるメンバーに言っていたらしい(うろ覚え&出典不明)。つまり、わたしたちファンが見ているアイドルは、その名の通りアイドル=偶像であって、その人自身ではない。その人自身が演じてくれるすばらしい偶像に、勝手に自分でイメージを付け足して、愛しているのである。

ということは、わたしたちが応援しているアイドルは、たっぷりの妄想を含んだ理想像である。人によってそれは、理想の恋人像であるかもしれないし、理想の家族像であったり理想の友人像であったりするかもしれない。

(アイドル戦国時代に入ってから「アイドルそのものの理想像」を見る人も多くなったように感じるけれどそれはひとまず置いておこう)

 

わたしはきっと、アイドルに理想の恋人像を見ているんだと思う。

「こんなにかわいい子が彼女だったらいいな」「こんなに元気で無邪気な子が彼女だったらいいな」「こんなに何事にも一生懸命な彼女を応援したいな」「悔しくて泣いちゃうそんなあなたも好き」「守ってあげるから守ってよ!←もう危ない人」

理想の恋人像を重ねてみている分にはまだいいけど、こうやって押し付けるようになったらもう終わり。アイドルのことを純粋に応援したいだけなのになんでこんなに嫌な自分になるんだろうってどんどん落ち込んで、逃避を始める。つまり、推し変開始である。しかもいつもほとんど無意識でやってるから困る。気づいたら違う子推してる。もう無理。やだ。でも今までの推しのこと嫌いになったわけじゃないんだよ、好きすぎてつらくなったんだよ(きもい)。

 

アイドルオタクはみんな多かれ少なかれそんな感情を抱いてどうにか折り合いをつけて日々を過ごしていると思う。

え、そうだよね?もしかしてちがう?

違うとしても、折り合いをつけることすらできない自分が忌々しい。

 

結論、体力がないんじゃなくて、心を切り替える力と物事を割り切る力が足りない。

 

 

P.S.
すごく気づきたくないことに気づいたけど書いとく。

なんか、「アイドル語ってやったぜ!」って感じだけど、ただただ自分が童貞を拗らせているだけな気がする……。

そもそも彼女がほしい女として生まれた時点でアイドルに出会うべきじゃなかった(言い訳)。